歴史探偵

見慣れた風景に人の営みを感じる

"西郷どん"の遺した言葉と落合陽一

変革期の偉人の思想は似通っているのかも

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100分de名著「南洲翁遺訓」第一回を見る。

 

講師役は日本大学教授の先崎彰容(せんざき・あきなか)さん(いかにも倫理や哲学を専攻されてそうな理知的な名前)。先崎さんはNHK「ニッポンのジレンマ」で何度か拝見している。"あんまり軽口は叩けないんです…申し訳ない"といった感じのお人柄。でも誠実に自分の思想や時代を語ります、といった態度に好感を持っていた。子どもの大学のゼミの先生だったらありがたいたろうな、と思うタイプだ。

 

さて番組テーマの「南洲翁遺訓」である。南洲とは西郷隆盛の尊称だという。つまり西郷隆盛という翁(=男の老人)が残した訓示といった意味。

 

今回の100分de名著の面白いと思うのは、この本を軸に西郷の"思想"に注目したところ。西郷って徹頭徹尾"行動の人"というイメージがあったので、確かに、思想としては何を考えていたのか、とは面白い企画だと思う。また逆に"幕末の思想"というと、すぐ思いつくのは尊王思想の水戸学とか、吉田松陰だし。うん、西郷×思想、意外性があってすごくいい。

 

さて、その西郷が明治維新という大変革期に何を考えていたのか。

 

番組では「南洲翁遺訓」を現代語訳している。そこから引用させてもらうと…

 

欧米各国の制度を採用して日本を開明の域に進めようとするなら、それよりも先にしなければならないことがある。

まず日本がその基本(国柄)を確定して、徳を持ってそれを支えるようにすることである。

そのうえで、日本に見合った長所を各国の制度のうちから選びとって採用する。それも急がないなことが重要である。

 

要するに、欧米先進国に追いつけ、追い越せとシャカリキになる前にやるべきことがあるだろう。日本の国が何によって成り立っているか、しっかりと考えたうえで、日本の国の性格によく合った各国の制度を取り入れろ、と西郷は言っている。

 

瞬時に「どこかで似たような考え、聞いたなあ」と思った。あれだ!落合陽一さんの近著のまえがきだ。

 

落合さんと言えば”現代の魔法使い”と言われ、アカデミズムやアートやビジネスの領域で超人的に活躍している人。自分はNHK「ニッポンのジレンマ」を見てがぜん興味を惹かれ、著書「超AI時代の生存戦略」 を読んで、「こんなにシャープに未来を見通す人いるのか!」くらいの衝撃を受けて、以来大ファンになった。

 

その落合さんの近著「日本再興戦略」のまえがき部分がNewsPicksの有料記事で配信されていた。そこに書かれていることが、実に西郷の言葉と重なるのです。少し落合さんの文章を引用してみると…

 

明治維新では、主に欧州型を手本にして、1945年以降は、米国主導で、戦勝国型を手本にして国をつくってきました。この欧州型と米国型が合わさって、「欧米」という概念になったわけですが、それをもう一度見直してみるのも『日本再興戦略』の趣旨です。

われわれは今、デザインにしても教育にしても、あまつさえ効果不明な健康法すらも無秩序に「日本はだめで、何々に見習え」と言うばかりで、考え方の基軸がありません。

われわれはいったい何を見習ってきて、何を見習っていないのか。それを正確に把握した上で、今後勃興するテクノロジーとの親和性を考えていかないと、日本を再興することはできません。

…西郷どんの言葉にそっくりだ。

現代は21世紀の大変革期。AI、ブロックチェーン、自動運転等々、次々と新しいテクノロジーが出現し、世の中の変化のスピードはものすごいことになってきている。日本が先進国から脱落する恐れも…。そんな時代には、盲目的に外国を見習うよりもまずは日本が育ててきた強みを把握しないと日本を再興することはできないと落合さんは言っている。まずは自分の足元を見ろ、と。

 

変革期に登場する偉人の思想の形ってやはり似通ってくるのだろうか。

 

西郷さんは書物の前に座っている学者ではなく、薩摩を率いて幕末の争乱を生き抜き、倒幕を成し遂げた”行動の人”。落合さんも学者でありつつ、何よりも”行動”を重視する人。研究・教育をやりながらアート作品も作り会社も経営している。世間と実地に格闘しながらモノを考える人の思想は似てくるということなのだろうか。いずれにせよ不思議な符合だ。

 

 

自分がファンである人の思想と近しい考え方をする西郷隆盛。じわじわ気になってきた。100分de名著の続きが楽しみだ。 

 

 

 

 

 

 

 

"中年以降のマネープラン"と"新卒一括採用"をつなぐもの

何だかもったいないな〜と思った。

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 それは会社で開かれたライフプランセミナーでの話。マネーの専門家であるファイナンシャルプランナーの人が40代以降のライフプラン(主にマネープラン)について様々アドバイスしてくれる催しがあった。その日のセミナーの参加者はウチの会社の人ばかり40人ほど。

 

そのセミナーの最中、講師の方が、「確定拠出年金で、マッチング拠出してる方いますか?」と質問を投げかけた。マッチング拠出とは、確定拠出年金で、会社が出してくれる額と同額までを上限として、自分で掛金を拠出できる制度だ。その拠出額が所得税から控除されるので節税上もおトクだし、全体の掛金も増えるのでその分、リターンも期待できる。

 

「そりゃもちろんやってるでしょ」と自分は挙手。でも同じように手を挙げた人はたった5〜6人くらい。これには驚いた。

 

ライフプランセミナーは土曜開催。参加は希望者だけなので、全員休日の時間を割いてわざわざ参加して来ている人ばかり。ということは自分の今後のマネーについてもそれなりに関心のある人だと思うのだが、それでも大半の人はマッチング拠出をやっていないんだ…。

 

ここ何年かの世界的な株高を受けて、自分の確定拠出年金の利回りはすごくいい。確定拠出年金を始めたのは2010年。2017年からはマッチング拠出を初めて、現在、掛金の総額に対して70万ほどの利益が出ている。利回りにすると11%(銘柄はここ2年ほどインデックスの外国株式と新興国株式)。このまま定年を迎えると2000万くらい受け取れる、との予想が出ている(もちろんリーマンショックみたいな非常事態もあるかも。それでも、1600万くらいはいくという試算)。もっと大きな額で投資してる人からすると、「何だその小せえ額は…」の金額かもしれないが、低リスク・草投資が心情のサラリーマンとしては、十分、老後資金の足しになる額である。

 

マッチング拠出なんて、パソコンで信託銀行のサイトをちょちょっていじるだけで出来る。かかる時間はものの数分。それだけで将来の受け取り額が大幅に変わってしまうのに。

 

もう一度言いたい。ん〜もったいない…。

どうしてマッチング拠出しない人かこんなに多いんだろう。

 

日本では投資やマネーに関する教育をしないから?

 

それも一理あるとは思う。でももっと奥深い理由は日本人が"ぼくら、みんな一緒だよね〜"と 考えがちだからじゃないだろうか。

 

大学を卒業したら、とりあえず新卒一括採用で就職するもの。無事に会社に入ったら、同期はだいたい昇進も一緒。給料もそこまで変わらない。仕事の環境も自分が変えるものではなくて受け入れるもの。

 

そういう意識があるから、投資のように自分の意思で一歩踏み出さないと成り立たないものには手を出さないんじゃなかろうか。

 

…ちょっと牽強付会な理屈かな。

 

では、なぜ自分は同じ会社にいるのに、(草食)投資出来ているかというと、やはり危機感があるから。いつまでも今の会社が同じ状態であるとは思えないし、出来るだけ資産を増やしておくのに越したことはない。そういう意味では中年ながら若干の意識高い系なのかも(こんなブログも最近始めてるし)。

 

もっと不況になって解雇規制も緩んで、自分の行動次第で仕事やお金の結果が顕著に変わってくる日本になれば、投資をする人も増える気がする。要するにまだ日本(の会社員)は余裕があるのかも。

 

最近、会社の後輩が草食投資をやっていると知り、投資や仮想通貨の話で盛り上がることが増えた。今度、彼に教わったソーシャル・レンディングを始めてみようと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

ビットコイン時代に生きる幸福

激変する時代の波に乗っている者は、自分が波に乗ってることは気づかない。かなり遠くまで運ばれてから、初めて「自分は波に乗ってたんだ」ということに気づく。

 

こんなタイトルのエントリーを書くからと言って、ビットコインで"億り人"になったわけではありませぬ。年末に初めて仮想通貨イーサリアムを恐る恐る1万円だけ買って、そのあと2000円下がり、「え〜!マジか!」と言っている間に1万5000円まで上がり(←イマココ)、若干ホッとしている肝の小さい男です。

 

でもタイトル自身偽りはなく、実際今の時代に生きていられるのは幸福だな、と思う。それはブロックチェーン・レボリューション」という本の第1章を読んで、将来への期待感で胸がかなりワクワクしたから。

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そのビットコインを支えるブロックチェーン」という技術が、インターネットが持っていた破壊力と同じくらいのインパクトで世の中を変える、と記されていたから。

 

その本の力を借りつつ、簡単にそのポイントを整理してみると…

  • インターネットは最初の40年で、Eメール、ウェブ、ドットコム企業SNSクラウド、IoTなどの便利な道具を生んだ。
  • 情報交換のコストが大幅に削減され、検索やコラボレーションがぐんとラクになった。

しかし、インターネットのしくみ自体には十分なセキュリティが未だ備わっていない。そこを解決するのがまさに「ブロック・チェーン」の技術。発行にも管理にも中心となる国や企業が関与しないのに、一連のルールに従った分散型コンピューティングによって、(インターネットが必要とした)信頼された第三者を介することなく、端末間でやりとりされるデータに嘘がないことを保証する、というもの。

 

このことを本の中では、従来のインターネットは「情報のインターネット」。ブロックチェーンは「価値とお金のインターネット」と簡潔に表現されている。端末間でやりとりされるデータに嘘がないので、”価値やお金”も安心安全にやりとりできるのだ。

 

それによって何が可能になるのか? 

例えば、こういうようなこと。

本物のシェアリングエコノミーがやってくる。

AirBnBUberのようなサービスも、それらを集中管理する企業がなくても回るようになるため、もっと安いコストでそれらのサービスを利用できるようになるし、Uberの運転手も直接仕事が取れるため、報酬もアップする。

送金が安く、早く、簡単になる。支援金も必要な人に確実に届く

銀行を介さず、海外にも簡単に送金できるようになる(手数料7%→2%くらいらしい)。寄付金も寄付してから現地の人が利益を受けるまでがスマートになる。

小さな起業がどんどん生まれる

ブロックチェーンを使って、グローバルな経済にアクセスできれば、資金調達、取引先、提携、投資などのあらゆるチャンスが広がる。

 

何だか新しい時代が来るような感覚がヒシヒシとする。しかもその大変化の直前に自分が立っているような感じが。インターネットによる変革の際は、この”大変化の直前感”は自分はついぞ味わうことができなかった。

 

インターネットのWWW(ワールドワイドウェブ)が開発されたのは1989年、文書に加え、図や音声までの情報を扱うことができ、マウス操作だけでほとんどの操作を行うことができる本格的なWebブラウザのMosaic(モザイク)が登場したのは1993年。自分は10代で自分なりに世間を見聞きしていたつもりたったけど、インターネットへの関心は薄く(というかほとんど意識しておらず)ここまで世の中を激変させるツールが胎動しているとは全く気がついていなかった。

 

ぼくとほぼ同世代の元ライブドアの堀江さんなんかは、大学時代にインターネットの圧倒的なポテンシャルに魅せられて会社を興したわけだから、やはり先を見通せる天才は違う。

 

でも1990年前後のインターネット黎明期と違い、今の自分は、このブロックチェーンによって変わりつつある時代をしっかりと意識して迎えられている。それを可能にしているのは、まさにインターネットのおかげでもあるのだが。ネットのおかげで、とびきり新鮮な、その道の専門家の情報に、どこからでもアクセスできる。旧来のテレビ・新聞等のオールドメディアだけだったら、こうはいかないだろう。

 

今、大河ドラマは幕末の「西郷どん」で盛り上がっているが、今は”情報技術レイヤーの幕末”なのかもしれない。西郷や坂本龍馬のような時代を見通せていた一部の人間は来るべき日本の未来のため、先行して大胆に動けていたのだろうが、大半の人にとっては戊辰戦争が終わって、明治が始まってやっと「ああ、前(さき)の戦が時代の転換点だったんだ…」との意識だったろう。できることなら自分も西郷や坂本龍馬の側でいたいけど。

 

いずれにせよ、大きな時代のうねりを眼前で見られるというのは幸福だ。before/afterを知る者だけができる昔語りなどを、将来の子どもたちに聞かせたい。

 

 

 

 

タモリさん、良い仕事してますね〜ブラタモリ 宝塚〜

今回はタモリさんのひと言が視聴者の気持ちを上手くリードしていた。

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ブラタモリ宝塚を鑑賞。テーマは「ナゼ宝塚は娯楽の殿堂になった?」

宝塚ということで阪急の小林一三(こばやし・いちぞう。電車を敷くと同時に沿線の観光・住宅・商業開発までを一体となって構想&実現し、日本の私鉄経営のモデルを作った大実業家)はいつ出てくるんだろう、と多少の先入観を持ちつつ、見始める。

 

冒頭で宝塚と大阪・神戸の位置関係を航空写真を使ってきっちり押さえてくれたのは良かった。さすが、タモリさん、「宝塚は神戸・大阪と等距離ですね」との指摘。この発言は何かの伏線なのか(最終的には別に伏線ではなかったが)。

 

大劇場をブラブラと見て回る。特段、何を見て回るのか、という強い目的意識は設定されていないが、これは豪華な施設だからとりあえず一回り見ておこう、という意図か。

 

大劇場シーンの最後まで来たところで、識者が「地形を見ていくと宝塚が娯楽の殿堂になった手がかりを知ることができる」と発言。それに対して、「娯楽の殿堂、地形と関係あるんですかね?」というタモリさんの発言がいい。まさに自分もそう思った。

 

視聴者の気持ちに寄り添う出演者のこういう発言はとても大事。視聴者の”置いてきぼり感”がなくなる。このタモリさんの発言は台本通りなのだろうか。だとしたら構成がきっちり計算されていると思う。

 

続いて、高い建物に登って宝塚の地形の確認。そこから見えるちょっとこんもり盛り上がってる丘が次の目的地として設定される。ただ広く風景が見える、というだけのこのような何でもない建物にタモリさんのようなビッグタレントがやって来て、本当にふつうの風景を、ああだこうだ読み解いていく…。こういうシーンがブラタモリらしくていい。

 

「小浜(こはま)」という地区を訪れる。「大堀川」という”堀”の字が含まれた川の名前にタモリさんが着目するところから、この辺りに人工の河川があった、との展開が自然。現場の発見感はいつも大事にしたいところ。その後、歩きながらクランク発見→城的な防御施設があった→戦国期に、浄土真宗の寺(毫摂寺)を中心とする寺内町(じないまち)があったと進行してゆく。歩きながら街をひもとく王道の展開。それにしても宝塚に寺内町が宝塚にあったとは知らなかった。純粋な驚き。

 

そしてここでもタモリさんの「(寺内町は)興味深いんですが、エンターテインメントと関係してくるんですかね?」発言。そうそう、自分もそう思うよ、と全く同意。タモリさん、僕らの気持ちを代弁してくれてるなあ。良い仕事してる。

 

江戸期に入り、この寺内町は宿場町に転換し、「有馬街道」「京伏見街道」「西宮街道」の出合う交通の要衝として発展したという。ここに酒蔵、旅籠、芝居小屋やなどの施設が存在したことが、宝塚が娯楽の街になったことの原点なのだと結論づけ、この小浜パートを締めくくっていた。

 

でもここには若干の違和感を感じる。のちに出てくるが、やはり宝塚に温泉が出たことが、現在のような娯楽の街として発展していく基礎を成したのではないだろうか。小浜地区と今の宝塚に連続性はないのだが、番組のテーマが「ナゼ宝塚は娯楽の殿堂になった?」であったため、いわば番組の都合で強引に、近代の宝塚の前身と位置づけたのではないか(あくまで推測ですが)。仮に前近代の宝塚(の小浜)と近代以降の宝塚に連続性があるのなら、それをきちんと資料や識者の話で示してほしかった。

 

テレビ番組はどうしてもテーマに縛られる。今のテレビの”しんどさ”はここにもある(テレビの”しんどさ”については以前、ブログにも書きました)。

candyken.hatenablog.com

 今回の場合だったら「ここまで見て来ましたけど、小浜地区と現在の宝塚ってあんまり関係ないんですよね」「え、そうなんですか!」とあっさり認めてしまう展開でも良かった気が。

 

それはさておき、番組上は時代が明治に移り、温泉が見つかった(明治17)話へ。ここではいかにも関西弁バリバリといった魅力的な洗い張り屋(=いったん着物を分解して、洗い、のりをつけてもう一度形をととのえるお仕事)のおじさんが登場。このおじさんがさらに、かつて花街だったこの辺りで、名妓と言われていた女性を電話で呼び出し、タモリさんと記念写真の撮影。このシーンは、いわゆるブラタモリ探索的なものではなかったけど、「鶴瓶の家族に乾杯」的な展開で非常に面白かった(タモリさん自身も言及していたが)。あの一連のシーンはアドリブだったのだろうか。もし台本をあのように自然に展開していたのなら、制作陣やるなあ!という感じ。

 

ここでまたタモリさんが「(こういった花街も)宝塚大劇場にはちょっと結びつかないですね」のコメント。納得のひと言。番組は冒頭のテーマに対してどういうオチをつけるのか、とこれからの展開が気になってしまう。

 

次のシーンでようやく宝塚大劇場が登場。小林一三も登場。小林が武庫川左岸の低湿地を埋め立てて、劇場を作ったという話。しかし話だけで終始し、低湿地に行って実地に検分したりはしないので、とちょっとがっかり。橋の上の識者の話で全て説明してしまうので、講義を聞いているみたいになってしまう。移動の時間がなかったのだろうか。

 

大劇場を再び訪れ、「宝塚新温泉」のプレートの前。ここでも今の宝塚歌劇団へつながる話が長く展開。識者の話と写真、資料映像で全てが進行するからイマイチだった。タモリさんが動いて場面がずんずん変わっていく中で事実が発見されて、ある結論が導かれる、というのを期待しているんだけれど。タモリさんが動いている画面というのは、それだけで躍動感があって、視聴者を惹きつけるエネルギーを持っている。登場人物が動かない画面というのは、散歩番組では長く持たないと思う。

 

最後は「花のみち」武庫川の自然堤防だったという話。これも草彅さんのナレーションで先に”地形の話”って言ってしまうから、ちょっと興味が半減した。歩きながら謎解きはしないのか…と。自分はテレビ的には古い世代なのかな。今の視聴者はそんなまどろっこしい展開は待ってられないのかもしれない。

 

でも今回はタモリさんの発言をうまくシーンの展開に活かせていたし、鶴瓶の家族に乾杯的展開も新鮮だった。今度宝塚に行ったら、ミュージカルは見なくてもいいので「花のみち」は歩いてみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3階まで登る価値あるかも〜参宮橋・分福茶寮〜

歳とってもポジティブに生きてる人はカッコいい。

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 参宮橋駅近くで、ランチ+コーヒーできる店を探していて、ふと見つけた看板。

 

「コーヒー飲めてちょうどいいや。でも"和カレー"って何だろ?」といぶかりつつ、3階まで階段を登る。

 

ガチャっと店のドアを開けるとカウンターの中でうたた寝する男性ひとり。こちらの物音で起こしてしまった。

「(お店)開いてます?」

と聞くと

「もちろん。開いてます、開いてます、どうぞ」とテーブルに案内される。

 

すぐにサラダが、しばらくしてその"和カレー"とやらが供される。こちらはそんなに待ってないのに「お待たせしていたしました」とマスターは軽く言葉を添える。丁寧な人だ。

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 カレーはピリっといい感じにスパイスが効いていて、焼きチーズのコッテリ感もありとても美味しかった。えのき茸をベーコンで巻いたものが具として入っている。こんな具は珍しい。

 

途中で「このカレーにはお茶が合うんです」と日本茶が出された。こんなことも珍しい。

 

見渡してみると「名産品と美味健康食の店」との貼り紙がある。めいさんひん…?また謎が一つ。和カレーのことも聞きたいし、好奇心がウズウズしてきたのでマスターに話しかけてみる。

「和カレーってどういう意味ですか?」

 

するとマスターも待ってました、とばかりに和カレーの解説を始める。カレーの中には、愛知の八丁味噌、千葉のピーナッツ砕いたもの、和歌山の梅干しなどが入っているそうだ(食べている最中、あまり気づかなかった…。味オンチですいません…)。食後のコーヒーも、竹炭で焙煎された長野の豆を使っているらしい。カレーとコーヒーの中にいろんなニッポンがひそんでいる。面白い。

 

マスターは定年退職して、好きなカレーとコーヒーで商売がしたいとお店を開いたそうだ。現在開店して10ヶ月。 「みんなが集まれるようなスペースを作りたいんですけどね。今のところ、一日のお客さんの数は片手で足ります」。

 

一日のお客さんの数が5人以下とか、余計なお世話ながらご商売が心配になるけど、不思議とヘンな悲壮感はなく明るく笑っていらっしゃる。マスターにとっては自分のやりたいことをやるのが一番最優先で、今のところビジネスでの成功は後回しなのだろう。

 

ほんとは3階じゃなくて、1階でお店をしたいそうだが、そういうところは高かったり、空いてたとしても既に鳥貴族みたいな大手のチェーンが押さえてることもあるという。

「良い物件が出るまで待ってもいいんだけど、その間にどんどん歳とっちゃうでしょ。だったら3階でもこの場所でいいかなって」

自分の夢に向かって具体的に試行錯誤している人の話はいつ聞いても面白い。刺激を受ける。

 

以前のお仕事は学校の美術の教師。壁にはマスター自ら描いたという美しい魚の絵も飾ってあった。

 

マスターのお話の引き出しはまだまだありそう。近所でカレーを食べたくなったらまた行こう。 

”日本的なるもの”を解毒する サイボウズ

「石垣を作るように 人の個性を活かす」

なんだか武田信玄が言いそうなことだけど、これはサイボウズ代表取締役社長の青野慶久さんの言葉。

 

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先日、青野慶久さんの講演を聞く機会があった。最近、ネットでは夫婦別姓問題でよく記事になっているのを見る青野さんだが、今回の講演は「働き方改革」に関する内容。時々、関西風の訛りが出るしゃべりで、ものすごい数のスライドを次々に説明してゆく。

 

青野さんは「働き方改革」という言葉には違和感があるという。正しくは”働き方の多様化”なのではないか、と。実際サイボウズでは自分の都合に合わせて実に多種多様な働き方を選べるらしい。

 

残業しない、週3日勤務、時短勤務、副業を持つ…etc

 

このあらゆる働き方を可能にする人事制度を取り入れて以来、サイボウズ離職率は改善。2005年に最高28%だった離職率が、去年は約5%まで減ったという。

 

青野さんのお話を聞いている間、ずっと感じていたのは、青野さんはいわゆる日本的な考え方や行動様式に抵抗し、それらを解毒しているんじゃないか、ということ。

 

例えば…

 

日本人は一緒であることを”良し”としがち

サイボウズではひとり一人の多様なニーズに応える。みんな違ってみんな良い。100人いれば、100通りの人事制度があっていいじゃないか、というのが社のモットー。また多様な人材の方が組合せ次第で、総合的なチーム力はアップする、と。その点が冒頭の「石垣を作るように 人の個性を活かす」という言葉につながってくる。

 

日本人は課題を”我慢や根性”で解決しがち

サイボウズでは在宅勤務用のPCを配布したり、業務を引き継ぐためのグループウェアを充実させたり、全ての会議室にテレビ会議のシステムを取り入れたりしているという。課題に対して精神論でなく、実質的かつ具体的にアプローチ。

 

日本人は主張をせず、空気を読んで”忖度(そんたく)しがち

サイボウズには「質問責任」という言葉があるらしい。会社内で自分が疑問や不満に思ったことはきちんと上司に主張する、いや、むしろそうしなければいけない責任がある。また上司には「説明責任」が課せられており、部下の疑問に対して公明正大に説明する義務がある。また会社内の会議は機密事項やプライバシーをのぞき全てオープンになっていて、誰でも意見表明できる機会が与えられているという。

 

③など本当にユニークで、自分の在り方について明確に主張し、結果、会社の制度もオープンに変えられていくというのは、社内で”お手本のような参加型民主主義”を実践しているかのごとく。まるでアゴラに集まって喧々諤々議論をしていた古代ギリシャの民主政みたいだ。

 

「でもそれってなかなかタイヘンなことですよ」と青野さんは言う。ハタで見ているほどラクではない、と。それはそうだろうなあと思う。会社のことをジブンゴトとして捉え、きちんと主張してこそ”働き方の自由”に到達する。自由の裏側に責任が貼りついている。

 

自分の会社に置き変えてみたとき、自分がそんな個人になれるだろうか?

 

いや、無理だな。自分の主張を全て表明していたら、周りから浮いて終わってしまいそう。個人が自立すると同時に、その自立を支える制度も上から強制インストールしないと、サイボウズのような働き方も実現しない気がする。

 

とすると、それを可能にする実行力を持つ青野さん的カリスマ経営者の登場を待たないといけないのか。

 

青野さんの講演は大盛況で、自分は立ち見だった。意思決定できる立場の管理職クラスの人もたくさんいた。その人たちには「ええ話、聞いたなあ」で終わらせず、小さなことでも身の回りで実行してほしい。

 

少しでも風通しのいい職場を。

"聴く人"より"出る人"を増やしたいラジオ

今のテレビが抱えてる"しんどさ"と真逆の魅力を持つメディア。

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コミュニティFM渋谷のラジオ 87.6MHz」の制作部長をされている西本武司さんの話を聞く機会があった。西本さんは吉本興業ほぼ日刊イトイ新聞を経てからの現職、という変わった経歴の持ち主。金髪で、どこまでも肩の力の抜けた感じでひょうひょうとしゃべる。長時間、話を聞いていてもこちらが疲れないタイプの人です。

 

さて、その西本さんが運営している「渋谷のラジオ」の番組は基本、一本55分。55分間、渋谷のあらゆる分野の人に、自分の好きな分野、専門の分野で話してもらうというのが主な内容。台本は一切なし。とにかく出演者に自由に”気持ちよく”話してもらう、というコンセプトらしい。

 

テーマは、渋谷で年中やってる工事について、とか、10時開店の書店のスタッフさんが始業前にスタジオに来て、渋谷の本屋について語っていくとか、渋谷在住の80~90歳の人が4人だけでしゃべっているとか…。このラジオではとにかく渋谷というものがどこかに絡んでいれば、何を語ってもよいみたい。

 

曲がりなりにも20年間、テレビ局で働いてきた自分のような者からすれば、「う~ん、うらやましい…」とため息をつきたくなるような、ゆるゆる感や自由感がある。「渋谷のラジオ」のやり方は今のテレビのあり方とは真逆だ。

 

テレビは原則、台本あるし、段取り重視だし、制作者が予め思い描いたイメージを、出演者を使って再現しようとするのがふつう。田舎の人情味あふれる人を描いた一見、素朴そうなオールVTRのドキュメンタリーであったとしても、実は制作者は登場人物を鋳型にはめたがっている。「この人はこう見てほしい!」という制作者の意図の押し付けがある。

 

では、そういう作為を止めて、主人公をそのまんま撮ればいいかというと、それがそうもいかない。往々にしてそういうドキュメンタリーは”何だかよくわからない、何も伝わらない”作品になってしまう。テレビを作り始めて、1~2年生のディレクターが編集室でプロデューサーにいちばん言われがちなのが「この番組、何が言いたいの?」という言葉。そう、制作者の”ねらい”が伝わらない番組はテレビ局内では忌み嫌われるのです。

 

ただテレビというのが、人物を鋳型にはめて分かりやすい人物造形しがち、というのは、一般的に言って、人(視聴者)は”他者を鋳型にはめて理解しがち”、という傾向に応えたものでもある。自分のこしらえたイメージやストーリーに沿って他者を理解したがるのは人の常なのだ。テレビの(特にNHKの)ドキュメンタリーが予定調和で、角の取れた丸いものになりがちなのは、テレビ制作者と視聴者の共犯関係がもたらすものなのだと思う。

 

渋谷のラジオ」はこのテレビの路線と真逆をいっている。  西本さんいわく、出演者がうまく話してやろうと、ねらいを定めて準備してきたトークはツマラナイそうだ。本人が準備してきたものを出し尽くしてしまい、”さあ、困ったぞ…”となってからが、その人の身の丈が露わになり、面白くなるのだという。このラジオにとっては、”ねらい”とか”目的”とかない方がいいのだ。

 

 とは言っても、そうなると55分間、ある種のダラダラとした、整理されない他人のおしゃべりを聴かされることになるわけで、それはそれでリスキー。メディアというのは不特定多数の人に”何か価値あることを伝える”と一般には思われているから。

 

そのリスクを「渋谷のラジオ」は徹底して渋谷にこだわるコミュニティラジオであることで回避している。自分と関係のある人、近しい人であれば、その人がちょっとくらいグダグダの、意味のよく分からない話をしていても聴いていられる。もっと正確に言うと、自分と関係ある人の話は、自分にとって無価値ではいられないということなのだ。つまり渋谷に住んでいる人には、渋谷の人が話すというだけで何らかの価値を持ちうる。

 

テレビなどのマスメディアは、”渋谷の人同士”というような人と人との”近い関係性”を"武器"に出来ず、常に不特定多数の人に、意味ある情報を伝えるよう強いられているがゆえに、人物を鋳型にはめるとか、予定調和なストーリーを構築するとかの手段を取らざるを得ないのだろう。そこがテレビの"しんどさ"なのだと思う。

 

SNS隆盛の時代、人は誰でも発信者にも受信者にもなれる。そうすると、テレビのように人と人との関係性に関係なく情報を送ってくる無機質なメディアより、自分にとって大切な、顔の見える人からのSNSメッセージの方に、誰だって重きを置く。テレビを見ながらでも人はスマホを手放さない。よそよそしいテレビよりも、よほどスマホのメッセージの方が体温があるから。

 

渋谷のラジオ」はそういったSNSとテレビの中間を行くメディアなのだろう。情報そのものよりも、ほんのり今の渋谷の温度を感じられるような。

 

西本さんは「渋谷のラジオ」を"聴く人"よりも「渋谷のラジオ」に"出る人"を増やしたいと言っていた。ラジオに出る人が多くなれば、自分と近しい人の声がどんどんオンエアから聞こえてきて、それはますます温かいメディアとなって、結果”聴く人”も増えるはず。衰退さけばれるテレビ側の人間が、参考にすべきヒントがその辺りにありそうだ。