歴史探偵

趣味の歴史、地理ネタを中心にカルチャー全般、グルメについて書いています。

谷川俊太郎 展・感想~谷川俊太郎を観る~

谷川俊太郎ビートルズだ。 

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東京オペラシティ アートギャラリー@初台で開催中の「谷川俊太郎 展」を見て来た。 谷川俊太郎といえば、出会いはもう30年も前の、自分が小学生のとき。「生きているということ」という詩が教科書にあった。最初の一節を引用させていただく。

 

生きているということ

いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木漏れ日がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをすること

朗読していてリズミックな韻文が気持ちよかったのはよく覚えている。普段の生活の中で、”ハッ”とする瞬間とか、しみじみしたりする瞬間とか、思わず考えこんでしまう瞬間などを描写しているんだろうな、そういう時生きてる感じするもんな、というのも子ども心に思っていた。当時はこのように言語化はできなかったけれど。

 

それからしばらくは谷川さんのことを忘れていたが、再びその存在を意識したのは1998年。NHKで放送された「詩のボクシング」という番組の中でのこと。日本を代表する詩人であるねじめ正一谷川俊太郎がリングの上で自作の詩を朗読しながら対決するというイベントを収録した、とても斬新な番組だった。

 

番組の最後に谷川さんが即興で「ラジオ」という詩を朗読するのだが、この詩の素晴らしさにズキュンと”どてっ腹を ぶちぬかれ”てしまったのだ(©️岡本おさみ)。

1998年 【詩のボクシング】ねじめ正一vs 谷川俊太郎 審査結果7/7 - YouTube

 今回の記事を書くにあたって、こちらの動画からその「ラジオ」を書き起こしさせてもらった。

(朗読の書き起こしなので、漢字や行間が必ずしも作者の意図通りじゃないかもしれませんが、お許しください)

「ラジオ」

書かれた言葉は消せる

消しゴムで

インク消しで

デリートキーで

 

だけど声になった言葉は消せない

いったん大気に放射されてしまうと

いつまでも漂っている。

 

木々の間を漂っている

青空に向かって漂っている

ラジオからきこえてくる声は

地理的に遠いだけじゃなくて

もしかするとすごく時間をさかのぼっている声なんじゃないかな

 

だから 今こうやって しゃべっているぼくの声をぼくは消したい

抹消したい

消えないから

あなたの心の中に残ってしまうから

消してブランクにしたい

空っぽにしたい

空っぽにしないと次の言葉が出てこない

 

地面の下から

空の上の方から

木々の間から

もしかすると海の深い底の方から

言葉はぼくの足を通って

ぼくのお腹を通って

ぼくの口まで届く

 

その言葉を自由にするために

忘れてください!

今ぼくがしゃべったことを

全部忘れてください!

それで空っぽになってうちへ帰ってください

 

どうでしょう。これが即興で作られたなん考えられます?じっくり考える時間があったとしてもこんな詩思いつかない(凡人には当たり前だが)。

 

「書かれた言葉は消せる」けれど「声になった言葉は消せない」という実感とは異なる逆説から始まり、言葉が空間・時間を漂うイメージを視覚化し、溢れる思いをもっともっと表現したいが故に、発した言葉よ消えてくれ…と(凡百な解釈ですいません)。

 

しかも詩の最後が「空っぽになってうちへ帰ってください」。あたかもイベントに参加している観客に向かって発せられたメッセージのように響く。実際にこの詩はイベントの最後に朗読されている。そのタイミングもあって、「空っぽになって」と呼びかけられた観客は、その言葉と裏腹に、一生この詩を忘れないだろう。さらに谷川さんはこの詩の朗読によって、「詩のボクシング」での勝利もかっさらっていったのである。鮮やかすぎて言葉もない。

 

さてそんな強烈な印象を残した番組以来、谷川さんのことは気になっていて、近所でその展覧会で開かれると知って早速行ってみた。

 

最初の展示は「かっぱ」という詩の文字が、壁に設えられた映像モニターに声とリズム音楽とともに映し出される仕掛け。現代アートそのもの。谷川さんの詩の音韻的な快感を最大限引き出した展示と言える。 

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次のホールが今回のメインとなる展示。谷川さんの「自己紹介」という詩が1行ごとに記された柱が立てられている。その隙間の空間に、谷川さんの愛したラジオのコレクション(谷川さんは若いころ、ラジオを組み立てるのが趣味だったらしい。即興でラジオの詩を生み出せるのもこれが理由?)や著名人と交わした葉書三島由紀夫の署名とか見ると興奮する!)、そして自作の詩が書かれた「ブックふうのオブジェ」などが配置されている。

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そして時折、自筆の警句も。

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鑑賞者はこのホールで、谷川さんの”言葉の海”をすいすいと泳ぎ回ることができる。

 

展示を見ながら、谷川さんは本当にいろんな詩を書いてるなあと改めて思う。

「私は私」というトートロジーを超えて

 私は私です        

             「私は私」

 と言ったような哲学的な詩。”私って一体なんなんだ?”という内容から

杉並の袋小路で子供らがかくれんぼする

築地の格子戸の前で盛塩が溶けてゆく   

             「東京叙情」

のような東京という具体的対象を読み込んだ詩、そして不条理映画の一コマを描写したような

ゆうがた うちへかえると

とぐちで おやじがしんでいた

             「ゆうぐれ」

という詩まで。谷川さんひとりで、あらゆる詩のジャンルをカバーしており、しかもどれもハイクオリティに充実した言葉の世界なのだ。

 

自分には、谷川さんがあらゆるジャンルのポップス&ロックを生み出し、どのほとんどが一級の作品だったビートルズのように思える。

 

このメインの展示ホール以外にも、壁一面に詩が記され、言葉の箱の中に入ったような感覚が味わえる部屋や、谷川さんの哲学的な質問に著名人がひねり出した答えをモニターで鑑賞できるコーナーなどがあって、さまざまに谷川ワールドが楽しめる仕掛けになっていた。

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帰り際、ギャラリーショップの前で見つけたボード。自作の詩に谷川さん自筆で文章が添えてあった。最後まで詩人の茶目っ気とサービス精神に溢れた素敵な展覧会だった。